2014年10月20日月曜日

2014/10/19 明倫ワークショップ② 地続きの100年



明倫ワークショップについて。
後半は、ロマン・ロラン研究所の皆様や、京都芸術センターの予約フォームからご予約いただいた皆様へ、アトリエ劇研ディレクターであり当公演の演出のあごうさんから今回の公演について、どんなことを考えているのか、どんなふうにロマン・ロランを読んでいるのかなどを語っている写真から。


ロマン・ロランの戯曲の上演をしている団体は見たことがないし、そんな話も聞いたことがない。演劇に関わる知人に尋ねても、誰も見たことがないという。
そういった内容から始まったあごうさんのお話に対し、研究所からお越しいただいた宮本ヱイ子さんも、今はだれもロランの本は読まない、過去の人になってしまったのかもしれないし、新聞記者でさえその名を知らない人も多い、とのこと。ただ、それを嘆いているようでは無かったのは、ロラン没後70年、第一次世界大戦の開戦から100年の今日において、納得できるものであるということなのかもしれません。


それはロランの作品の知名度や戦争から遠く離れたことだけではなく、戯曲、小説に書かれている言葉の一つ一つに、私たちの日常からは程遠い、文語的な修飾語についても、果たしてこの「美しい」言葉を、今の私たちがどんなふうに声にするべきか、という問いから、あごうさんは今回の公演のある核心について「ネタバレですけど」と語り始めました。


100年も前の戦争や、言葉、恋愛など、それが舞台上に立ち上がる工夫について、ここではあまり書けませんが、私たちの日常では感じることのできない100年の隙間を、実感を伴った今として捉えるような新しいピエールとリュースの読みをあごうさんはお話しされ、そこで語られていたのが、100年という距離についてでした。


シェイクスピアであればもう昔過ぎてそれは全く別物なのだけれど、100年前の戦争や恋愛は、私たちの日々とまだ地続きの今なのかもしれない、ということを語り、そして、その地続きの100年を経た今、このピエールとリュースを公演する意味があるはずだ、と話しました。


100年も前の事について、例えば第一次世界大戦について、多くの人はそれを教科書の文字でしか知らないし、たとえばこの稽古場ブログが、いくら頑張って書いたとしても、稽古場で起きている出来事をすべて伝えられないように、文字に書かれたものを読むことは、臨場感を伴わない、どこか他人事のように感じるものになってしまいます。100年前とは、赤レンガの東京駅舎が完成し、桜島が噴火し、カチューシャの唄がヒットした年です。

しかし、決して短くはない100年という時間の隔たりを、それでもこれは今のことであるとあごうさんは語ります。

なぜなら、100年という時間は、ロランが小説を書き、宮本正清が翻訳しそれを日本に広め、波多野茂彌がアトリエ劇研を創設し、そこで数々の公演がなされ、かつては観客だったはずのあごうさとしや出演者が今年その舞台に立つことになって、もしその舞台を見た観客席の誰かがいつか舞台に立つとすれば、確かに100年という時間は、脈々と今と繋がっていて、きっとこれからも続いていく、そんな時間でもあるからです。


〈時間も空間もぼくにとってはさして存在していません。昨日もなく、明日もなく、すべてが今日みたいなのです〉
とロランが語ったことは前に書きましたが、まるでそんな風に、そしてロランとは違うやり方で、100年も前の、そしてたった100年前の作品をアトリエ劇研で上演いたします。

ご予約はブログからでもHPからでも、もしくはお電話で劇研までお問い合わせください。
皆様のご来場お待ちしています。





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